2020年

プロ野球の日本シリーズも終わりいよいよ年末ムードが始まるなぁと感じる今日この頃。

今年はコロナウイルスの流行拡大後から有名人の自殺が目立つ一年だった。

悲しい気持ちになると同時に、「大変でしたね、ゆっくり休んで下さい。」と言いたくなる。

何かを成す事や他人よりも有名になるには、人一倍のプライドや拘りが無ければ達成できないのではないかと思う。

それぞれの死生観からくる美学があるのかもしれないし、そういったところで、自分を許せなかったり妥協できなかったりする事はあるだろう。

凡人の私でさえそう思う事があるし、死んだ方が楽なんじゃないかと思った時もあった。

誰だってそのような感情に苛まれる事はありえると思う。

簡単な言葉では表現できないし、捉え方はいくつもある中で、あえて文章にしてみる事は、自分の気持ちを整理する上で非常に有効ではないかと思ったため、ちょっと思いつく事を書いてみた。

 

日本人の自殺者は年間 30,000人〜100,000人と言われている。

30,000人が遺書や証拠などがあり断定できる自殺者で、残りの70,000人は変死者、つまり証拠が無いが自殺の疑いがある死者だと言われている。

1日に82人〜274人、1時間のうちに3人〜11人の自殺者がいるという事になる。

とんでもない数字だ。

生きたくても生きれなかった人もいれば、自ら命を絶ってしまう人もいる。

悲しいがこれが現実だ。

愛されながら若くして行ってしまう命もあれば、憎まれ恨まれながらも長く生きる命もある。

わかっている事は、誰もが生まれた時から死に向かって進んでいる、その人が望む望まないにかかわらず、今生きている以上、死ぬまで生きるのである。

 

昔の日本では身の潔白を示す為、あるいは誠意や忠誠心を示す為、自らの正義を貫く為に切腹をしたり、命ぜられたりした。

残された者は悲しみにくれただろうし、彼等を誇りに思う事もあっただろう。

日本には他国と異なる、人の生き様や死に際の美学があるように思う。

それは宗教や哲学、何かの思想とは異なるもので、法律で定められるものでもなく、一人ひとりの心や地域社会に根付いた文化や精神、真心のようなものだと私は思う。

因みに私は無神論者では無い。

これがスピリチュアルな話かどうかわからないが、例えば私やあなたが持っている感情という臓器はどこにも無い。

死んでしまったらその感情や人の気持ちはどこへ行ってしまうのだろうか。

そう考えると、魂が生まれ変わるという事を信じたくもなるくらい、私はさみしがりやで臆病者なのかもしれない。

 

生きがいをどう見出すかで、人生の充実感は大幅に変わると思う。

それは誰かにとっては簡単な事で、また他の誰かは考えた事すらなく感性と欲求に身を任せて生きているだけなのかもしれない。

本などに書いてあるような、何でもよろこびましょう、プラスに考えましょうみたいな事を言うつもりはない。

悩み苦しむ事があっても良いし、後悔したって良いと思う。

反省はしても後悔はしない、なんてかっこいい考え方ができれば苦労はしないのだ。

自分の生きがいや価値観を見出した時、全てはうかばれるだろう。

それは年齢や経験値、時代の流れによって変化していく事もあるかもしれないし、どんな時も変わらない何かなのかもしれない。

 

かという私は特別に何も無い。

子供が可愛いし、妻が元気でありがたい。

仕事が上手く行けば嬉しいし、休みが取れたら嬉しい。

美味しいものを食べたら嬉しいし、欲しいものを手に入れたら嬉しい。

youtubeを見ながらダラダラと過ごすのも、ゲームをしながらゴロゴロするのも好きだ。

思いついた時に文章を書き、ギターを弾いて子供達と一緒に歌ったり、些細な事で怒ったり、仕事の愚痴をこぼしたり、お金持ちになりたいなぁと夢を見ている。

思い通りにいかない事はたくさんあるが、そんな私でも意外と人生を楽しんでいるつもりだ。

目の前の現実と向き合いつつ、少しでも生活が向上するように、技術を身に付けたり資格を取ったり勉強をしたりしている。

直ぐに結果が出る事は無いし、努力が報われるとは限らないのが人生だ。

残念ながらこれが現実だ。

しかし心の持ち方は今すぐに変えられるし、努力しなければ未来や結果は変わらない事は分かっている。

だから少しずつがんばれば良いと思うのだ。

三日坊主で十分立派だ。

1日休んでまた三日坊主をすれば、1週間後には六日坊主になっている。

小さいことの積み重ね。

難しい事はできない。

気が進まなくなったら辞めてしまうのもありだと思う。

私はその程度の人間だ。

無理をしたって仕方ない。

本当の自分の心にウソをついていたって幸せにはなれない。

私はダラダラとテキトーにしておくのが好きだし、目標に向かってコツコツと努力する事も好きなのだ。

こんなだらしない私でも、現代社会の最低限の義務と責任は果たしながら、妻や子供達にこの未完成な自分を許してもらってそれなりに生きている。

妻や子供達を幸せにしたいと思っているし、自分の目の届かないところでも、彼女らに起こってくる物事が、良いようになるようにいつも祈っているのだ。

 

思いついた事を書いてみると少しスッキリした。

それにしても今年は大変な一年だった。

来年は何の悩みや心配も無く、穏やかで気楽に過ごしたいものだ。

それでは良いお年を。